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いつの間にか「元気をもらいました」になっていた

皆さんは、「元気をもらいました」や「勇気をもらいました」という表現に違和感を感じませんか。

「元気付ける」や「勇気付ける」という単語があるので、「元気付けられました」「勇気付けられました」と言うべきところなのですが、いつの間にか冒頭のような表現が使われるようになっていました。

語彙の少ない外国人が語彙不足を補うために使うのなら理解できるのですが、どうも日本人に使われると違和感を覚えます。

皆さんにとっては、許容範囲ですか。

 


この記事のカテゴリー:表現 , comments(5)

コメント

「違和感を感じる」というより、共時的な側面からいえば、この「元気をもらいました」という表現は現代の世相を反映しているのではないでしょうか。「もらう」という授受動詞に対し「元気」という目的語を無形名詞として用いている。本来授受動詞と共に用いるべきではない語「元気」が使用されているということは、すなわち、「元気」という語の所記(意味・概念)が「commodity=モノ」化しているからこそ、このような表現が無意識に許容されているのでは!?
今や「人材」も「モノ」扱い!世の中全てが、有形であれ無形であれ「モノ・モノ・モノ」!市場原理主義や資本主義がこれほどまでに「ことば」の概念形成に影響を与えていることをどれだけの人間(日本語講師は特に!)が認識できているのだろうか・・・?問題は、日本語母語話者とか非母語話者とかのレベルではなく(「母語話者」という特権性はすでに皆無!)、全ての日本語「使用者」が日本語という言語に対する認識構造を再考するべきだと、その必要性を認識しているかどうかである。
Comment by Joyce @ 2009/02/18 1:11 AM
表現の違いはありますが、Joyceさんのような日本語の変化を受け入れるべきだという意見は、今までにもいただきました。その度に私が説明してきたことは、20年程度の期間で変化させるべきではないということです。

言語が意思疎通の道具である以上、地域や年代でコミュニケーションが阻害されてはいけません。外国語の場合は特に重要な問題で、学生時代に勉強した言語でも、大人になって使えなければ意味がありません。

資本主義に関心があるようでしたら、複数の言語を使う全ての人が定期的に外国語を勉強し続けなければならない場合の経済損失についても、考えてみてはいかがですか。
Comment by 左近 @ 2009/02/18 9:28 PM
わたくしは、一言も「日本語の変化を受け容れるべきだ」とは述べておりませんが・・・!!!
わたくしが意図する「認識」とは、「受け容れる」ということではありませんよ!人が書いた文章には、様々なコンテクストがあるものです。もう少し「行間を読む」ようにするといいのでは!
Comment by Joyce @ 2009/02/20 2:20 AM
元気なんかイランワイ
そんなもん自分で出すワイ

と言いたくなりますね
このところやたら優しいを演出した言葉が造られている
『元気をもらった】等というヤツは、大方語尾上げに
乗っかるような自分のない低脳なファッション感覚の
意識異常のアホ。 相手にしないこと。
言い換えれば世を乱す弩阿呆。
Comment by 叱ってあげる @ 2011/05/25 7:47 AM
35年、外国生活をして帰国した者です。私の知らなかった日本語の表現がいくつかあり戸惑っています。元気をもらうもそのひとつです。表現が翻訳調だとか、物のやりとりみたいだという批判はともかく、それはそれで特異な表現として誰かが使う分にはおもしろいのですが、それを老若男女国民すべてが、そう言うものと心得て使っている点が恐ろしいです。これはテレビのせいです。テレビは教育的影響を持っていることを自覚すべきです。(そういう意味では、なんとか見ていられるのはNHKぐらいです)誰か、勇気をだして「勇気づけられた」「元気づけられた」と言いましょう。
Comment by mamma @ 2011/06/12 2:27 PM
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